共鳴
" 題目を唱え奉る音は、十方世界に
とどかずという処なし。我らが小音
なれども、題目の大音に入れて唱
え奉るあいだ、一大三千界にいた
らざる処なし。” ( P808)
「題目の大音に入れて」とは。
この大宇宙を、南無妙法蓮華経の
波長のリズムが貫いている。その
波長と我が生命の波長が共鳴した
とき、空間の壁は消える。問題は
大宇宙を貫く波長に、いかに我が
生命の波長を合わせるかである。
埃なき生命の波長こそ大事である。
「我慢偏執の心なき」の金言をか
みしめる。
とどかずという処なし。我らが小音
なれども、題目の大音に入れて唱
え奉るあいだ、一大三千界にいた
らざる処なし。” ( P808)
「題目の大音に入れて」とは。
この大宇宙を、南無妙法蓮華経の
波長のリズムが貫いている。その
波長と我が生命の波長が共鳴した
とき、空間の壁は消える。問題は
大宇宙を貫く波長に、いかに我が
生命の波長を合わせるかである。
埃なき生命の波長こそ大事である。
「我慢偏執の心なき」の金言をか
みしめる。
蘇生
" 妙とは蘇生の義なり
蘇生と申すは、よみがえる義なり ”
P947
"よみがえる”とは、
無始無終の生命への回帰であり、
また生命の呼吸の始まりである。
蘇生と申すは、よみがえる義なり ”
P947
"よみがえる”とは、
無始無終の生命への回帰であり、
また生命の呼吸の始まりである。