いつか
" 一念三千 ”
仏法の広さがどこまでも続く。
人びとの歩む道も三千の道がある。
君は左の道を行き、
僕は右の道を行く。
君の行く道が正しく、
僕の行く道が間違っているのでもなく、
僕の行く道が正しく、
君の行く道が間違っているわけでもない。
君の行く道と
僕の行く道はやがて交わる。
仏法の広さがどこまでも続く。
人びとの歩む道も三千の道がある。
君は左の道を行き、
僕は右の道を行く。
君の行く道が正しく、
僕の行く道が間違っているのでもなく、
僕の行く道が正しく、
君の行く道が間違っているわけでもない。
君の行く道と
僕の行く道はやがて交わる。
開
" 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき
苦楽ともに思いあわせて
南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給え、
これあに自受法楽にあらずや "
P1143
全てのものは十界を有する。
即ち、(-)のエネルギーの顔から
(+)のエネルギーの顔まで内包する。
苦は、(-)の顔を見て(+)の顔を見ない状態であり、
楽は、(+)の顔を見て(-)の顔を忘れている状態である。
ここに、苦の時に(-)の顔だけでなく(+)の顔を引き出し、
楽の時に(+)の顔の奥に隠れている(-)の顔を見つめるとき、
霧の中に隠れている真の姿が展開される。
苦楽ともに思いあわせて
南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給え、
これあに自受法楽にあらずや "
P1143
全てのものは十界を有する。
即ち、(-)のエネルギーの顔から
(+)のエネルギーの顔まで内包する。
苦は、(-)の顔を見て(+)の顔を見ない状態であり、
楽は、(+)の顔を見て(-)の顔を忘れている状態である。
ここに、苦の時に(-)の顔だけでなく(+)の顔を引き出し、
楽の時に(+)の顔の奥に隠れている(-)の顔を見つめるとき、
霧の中に隠れている真の姿が展開される。
覚悟
過去・現在・未来へと続くこの生命は、
因果の法則に貫かれている。
即ち、過去の自分がどうであったかが
現在の自分の姿に映し出され、
現在の自分がどう生きるかが、
未来の自分に反映されていく。
この因果の法則における厳しさは、
また、どう生きるかを決めるのは、
自分であることを突き付けてくる。
輝き
「うわっ!」と声を出してしまう。
キラキラ輝く宝石が押し寄せてくる。
「これはこうなのだ。」という決めつけた
考えを取り払った時から。
目の前のもの、
世に存在するものや出来事は、
大小にかかわらず光を放つ。
大きいからその光が大きいのでもなく、
小さいからその光が小さいのでもない。
光の強さは変わらない。
キラキラ輝く宝石が押し寄せてくる。
「これはこうなのだ。」という決めつけた
考えを取り払った時から。
目の前のもの、
世に存在するものや出来事は、
大小にかかわらず光を放つ。
大きいからその光が大きいのでもなく、
小さいからその光が小さいのでもない。
光の強さは変わらない。
礎
「生命は、生死・生死を繰り返して続いていく。」
生命の真実の姿を胸に抱きしめたとき、
初めて人生は開かれていく。
生命の真実の姿を胸に抱きしめたとき、
初めて人生は開かれていく。
実相
目に見える・形ある世界と
目に見えない・形の存在しない世界が
一体であるのが宇宙の実相である。
この目に見える・形ある世界しか存在しないと
思っていることが、
人間の不幸の始まりである。
目に見えない・形の存在しない世界が
一体であるのが宇宙の実相である。
この目に見える・形ある世界しか存在しないと
思っていることが、
人間の不幸の始まりである。