実相
目に見える・形ある世界と
目に見えない・形の存在しない世界が
一体であるのが宇宙の実相である。
この目に見える・形ある世界しか存在しないと
思っていることが、
人間の不幸の始まりである。
目に見えない・形の存在しない世界が
一体であるのが宇宙の実相である。
この目に見える・形ある世界しか存在しないと
思っていることが、
人間の不幸の始まりである。
如説修行
修業とは、
南無妙法蓮華経の
偉大さ
素晴らしさを
そして
生きていることの
楽しさを
味わう時間のことをいう。
南無妙法蓮華経の
偉大さ
素晴らしさを
そして
生きていることの
楽しさを
味わう時間のことをいう。
不死は常
" 不老は是れ楽、
不死は是れ常、
此の経を聞いて常楽の解を得 ”
(法華文句)
個々の人間の生命は濃い霧で覆われている。
その霧を取り除いたとき、泉があらわれる。
その泉から次から次へとよろこびが溢れて
きて、体がないかのように広がっていく。
そのことが、生きて肉体が存在するかどう
かを超えて続いていくことを、生命が教え
てくれる。
不死は是れ常、
此の経を聞いて常楽の解を得 ”
(法華文句)
個々の人間の生命は濃い霧で覆われている。
その霧を取り除いたとき、泉があらわれる。
その泉から次から次へとよろこびが溢れて
きて、体がないかのように広がっていく。
そのことが、生きて肉体が存在するかどう
かを超えて続いていくことを、生命が教え
てくれる。
不老は楽
" 不老は是れ楽、
不死は是れ常、
此の経を聞いて常楽の解を得 ”
(法華文句)
” 年はわこうなり ” p1135
妙法蓮華経を信じる者の生命は、
はつらつと
みずみずしく
はじけるように
時の先へとひろがっていく。
信心の道程
子供がよく雨降りの時、道路にできた水溜り
の中で、小さなかわいい長靴をはいて「ぴち
ぴちちゃぶちゃぶ」と楽しそうに遊んでいる
のを見る。今、雨降りの中、窓から外を見て
て、屋根の軒下に落ちる雨の雫が、地面に落
ちてはじける様子に、子供が楽しそうに遊ん
でいるのを見た時と同じような楽しさを感じ
る。まるで雨の雫が楽しそうに遊んでいるよ
うに感じ、その楽しさに、私の生命も嬉しく
て共にはじけていく。妙法蓮華経への信心の
道程で、ここまでたどり着いた喜びとこれか
らさらに先へと歩を進めるわくわく感に溢れ
ている。
の中で、小さなかわいい長靴をはいて「ぴち
ぴちちゃぶちゃぶ」と楽しそうに遊んでいる
のを見る。今、雨降りの中、窓から外を見て
て、屋根の軒下に落ちる雨の雫が、地面に落
ちてはじける様子に、子供が楽しそうに遊ん
でいるのを見た時と同じような楽しさを感じ
る。まるで雨の雫が楽しそうに遊んでいるよ
うに感じ、その楽しさに、私の生命も嬉しく
て共にはじけていく。妙法蓮華経への信心の
道程で、ここまでたどり着いた喜びとこれか
らさらに先へと歩を進めるわくわく感に溢れ
ている。
疑と楽
" 我ならびに我が弟子、
諸難ありとも疑う心なくば、
自然に仏界にいたるべし。” P234
" 楽をば楽とひらき ” P1143
人は苦難が襲ってくると、「どうして自分だけがこのような
しうちを受けなければならないのか。」とその不幸を疑い、
嘆いてしまう。その時、数々の困難な状況が外圧となって、
外から内へと向かい、心はどんどん狭くなっていく。そして
時間が進むにつれて、内心は活力を失い、やがて自暴自棄を
迎える。
これに対し、日蓮大聖人は、「楽」すなわち「楽しむ」こ
とを教える。つまり、苦難を解決することを楽しむのである。
苦難が引き起こす未来の姿を思い描くことではなく、目の
前の小さな課題の1つ1つを解決することを楽しむのである。
その楽しむ心が力を内から外へと向かわせ、苦難はストレス
から楽しみへと変わるのである。
諸難ありとも疑う心なくば、
自然に仏界にいたるべし。” P234
" 楽をば楽とひらき ” P1143
人は苦難が襲ってくると、「どうして自分だけがこのような
しうちを受けなければならないのか。」とその不幸を疑い、
嘆いてしまう。その時、数々の困難な状況が外圧となって、
外から内へと向かい、心はどんどん狭くなっていく。そして
時間が進むにつれて、内心は活力を失い、やがて自暴自棄を
迎える。
これに対し、日蓮大聖人は、「楽」すなわち「楽しむ」こ
とを教える。つまり、苦難を解決することを楽しむのである。
苦難が引き起こす未来の姿を思い描くことではなく、目の
前の小さな課題の1つ1つを解決することを楽しむのである。
その楽しむ心が力を内から外へと向かわせ、苦難はストレス
から楽しみへと変わるのである。